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2009第3回九州都市景観フォーラム記録
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□討論
コーディネータ:日高圭一郎
パネラー:金澤成保、頴原澄子、佐保肇、佐藤直之





日高:
それでは、時間が限られていますが、パネラーの方々と共にディスカッションをはじめたいと思います。
まず私の方から話題提供いただいた頴原先生、佐保さんに、それぞれ質問をさせていただきたいと思います。



英国のGradeT・U*・Uの具体的な対象は?

日高:
頴原先生にですが、英国のGradeU(グレイド・ツー)には、「あまり大したものでないものまでも指定している」との紹介があったかと思うのですが、日本で言うとどの程度のものということになるのでしょうか?大したものでないけれど、やはり指定されるだけの何かがあると思うのですが、具体的にどの程度までのものをイメージすればよいか細くしていただきたいと思います。

頴原:
まず英国の歴史的建造物の保全の取り組みは、戦災復興の時に政府主導で、ざっと国内を見て回って、壊してはいけないものをピックアップしたことから始まります。その上で、政府主導で価値あるものを政府が指定しているということです。日本の文化財制度は、持ち主の方が登録するかたちですけれど、英国の場合は持ち主の同意を得ず、国が上から指定・登録をしています。
それで、対象となっているレベルについてですが、建物の年代でいうと戦後の建物も対象になっています。例えば、1970年代にノーマン・フォスターが設計したものがGradeTに入っていますから、GradeUまでであれば、戦後の建物は十分、対象となっています。



日高:
年代は、建物の価値を決める上での選定基準になっていない、ということですか。

頴原:
ほぼなっていないですね。

望ましいエンターテイメント・ゾーンの具体的な中身は?

日高:
佐保さんへの質問です。佐保さんが望ましいとするエンターテイメント・ゾーンというのは、空間や機能の具体的な例で言うと、キャナル・シティのようなものなんでしょうか。ご存じの通り、キャナルシティには劇団四季の劇場がありますし、シネマコンプレックスもあり、小売商業も当然含まれている大規模商業複合施設だと思うのですが。特に「生産的機能」について、具体的にご説明いただければありがたいのですが。

佐保:
日本の場合、キャナルシティのようにひとつの大規模施設の中に、機能を集約してしまっているのですけれど、私がイメージするのは、中洲というゾーン(地区)の中に、個々に様々な用途・機能が立地し、ゾーン全体が多様性を持ちながら集積することが望ましい姿だと思います。
それから「生産的機能」といったのは、このゾーンで映画をつくったり、アートを創作したりすることで(一部、業務も含まれますが)、それはいろいろあっていいと思うのです。ただ、そこで単に飲んで食べて騒ぐといった消費するだけの場所だと発展性がないと思うのです。抽象的な説明になって申し訳ないんですが、パチンコ屋とゲーム・センターと、後は飲んで騒ぐお店だけだと何もないと思うんです。とても偏ったエンターテイメント・ゾーンになると思います。



日高:

福岡市の場合、「ゲーム産業」に力を入れようという動きがあるのですが、そういうものとは違うのでしょうか。「ゲーム」というものも、都市の「生産的機能」の概念の中に含まれないのでしょうか?

佐保:
勿論、ゲーム産業がエンターテイメント・ゾーンを阻害する要因にはならないと思います。ただ、国民性が影響するんだと思うのですが、パチンコ産業が台湾や中国に進出しようとして失敗した例がございますよね。ましてや中国の青年にはパチンコは合わないと聞いています。ロンドンとニューヨークの事例を紹介させていただいたんですが、ロンドンとニューヨークがそのまま日本の都市に当てはまるとは思いません。

中洲は日常から切り離された「歓楽街」としてキッチリと位置づけられるべき。

日高:

頴原先生、佐保さんのこれまでの話を聴いて、金澤先生に少しコメントをいただきたいのですが。那珂川の中での「アフィニティ」をどう解釈していったらいいのか、ご説明をお願いします。

金澤:
先ほどの私のプレゼンテーションで、人間っていうのは結構、「変化」だとか「刺激」だとか「新しさ」だとか「不思議さ」というのを求めているというふうに申し上げました。それは、頴原先生の話に共通するところであるのですが、必ずしも「統一」や「調和」を追求するばかりではない側面が人間の心理の中にあるということの確認だったわけです。
先ほど申し上げなかったことに重要な点があるのですが、そのことをここで申し上げますと、どこでも全部刺激的で変化に富んでいるのが良いのかと。僕は、基本的に人間にはメリハリが、空間的にもあるはずなんで、例えば普通考えると、住宅地とか自分が日常的に家族と一緒に暮らしている場所では、そう日々変化したり、ネオンがギラギラというのを好んでいる訳ではないと思います。その人間の欲望や物を求めるのは、実は時間と空間を分けてやっているんじゃないかと思うのです。だから、その刺激や変化を求める場所は、こういう盛り場を中心とした街で行われるべきで、その「街」では、常に刺激や変化や多様性やダイナミズムみたいなものを感じられるようにすべきだと思います。
実は、都市計画での規制は、一律、同じような概念で規制することになるのですが、これからの都市デザイン、あるいは都市計画の規制のあり方というのは、地区によってのメリハリ、−僕の親和性という言葉で言うと−変化や新しさ等を求める場所とそうではない場所、その中間的な場所といったメリハリをつけたゾーニングをやるべきだと思うのです。そうすると、この中洲というのが、どういうふうに考えられるべきかというと、佐保さんから指摘があったように、都市計画の研究者がずっと避けてきた「盛り場」あるいは「歓楽街」というのを計画の中でキチッと位置づける。ただし、規制といった方向にはいかず、それぞれの建物を持っている人、テナントを持っている人達がかなり自由にやっていくゾーンという位置づけをすべきではないかと思います。というのは、もともと水辺で盛り場になっているのは大阪の道頓堀ですが、そういった場所はいわゆる治外法権の場所ですよ。それで中洲が今の盛り場になる始まりは、芝居小屋が出来たことから始まっているということですが、ある意味で別世界なんですよね。普通の日常的な空間から切り離された場所。
例えば、日本の場合、城下町で言うと、そうした「盛り場」はお堀で囲うわけで、中国やヨーロッパの都市みたいに城壁で囲まない。つまり、水によって世界を隔てる「結界」としての役割を担っている。よく神社やお寺さんで、水によって区切られていることがありますが、あれは日常の空間と神様の世界を空間として、ハッキリと分けるということです。ということは、中洲の良さというのは、実は水に囲われていること。それで、これからの中洲の方向性として次に考えられることは、自由でかなり刺激的で変化がある。それと日常的に今まで切り離された場所であったし、これからもそうあるべきだと思います。



中洲は周りの市街地とは違う土地利用・建築を目指すべき。
それで、土地利用をどうするかについては、規制するべきではないと申し上げましたが、自然の経済原理の結果として河川沿いにマンションが林立すると言った課題が浮上しています。
先ほど、佐保さんの話題提供の中で、イルパラッツォの例が出ましたよね。あれは面白いなと思いました。
何を申し上げたいかというと、佐保さんがおっしゃられた「テーマパーク的景観」というのに、大きなヒントを感じました。中洲に入ると違う世界になる。つまりデザインであったり、用途であったり、お店であったり、そういう様々な点で別世界をつくる。中洲を挟む左右の市街地とは違う世界を常に志向していく。建築のデザインでも、何処にでもあるマンションではないものを志向すべきだと思います。
福岡でいうと、中洲と同じぐらい私の「都市のイメージ」となっているものが、もうひとつ、湾岸の埋立地で欧米の有名建築家を入れたネクサス百地とネクサス香椎の住宅開発がありますね。これはとても面白いプロジェクトであり、福岡のカラーを特徴づけたものだと思います。
そのベースとして、博多という街は、唐津と同様、古くから大陸との交易の玄関口であって、アジアに開かれた都市であることを志向していることだと思います。それが現代のある時期に、欧米の技術・デザインを積極的に取り入れていこうというのが働いて、ネクサスのプロジェクトやイルパラッツォ、博多のハイアット・リージェンシーといった日本の他の都市にはない建築を生みだしたんだと思います。イルパラッツォなんかのような、形と機能が分離したデザインの意外性、つまり非日常的なものを中洲では許容出来るんじゃないか。ああいったものが中洲ではどんどん出来ていくという方向性が良いんじゃないかなと思います。
だから、同じ市街地として中洲を見るのではなく、水で区切られた別世界、あるいは異界というものを志向する方向に中洲の今後があるのではないかと思います。
以上、長くなりましたが、私が頴原先生、佐保さんの問題提起を受けて、那珂川での「アフィニティ」の具体的なイメージ、今後展開する方向性を述べさせていただきました。まだ、他にも思いついたことがあるのですが、後ほど、また発言させていただきたいと思います。

「川」は境界であり、また「ひと」「こと」「いのち」をつなぐ役割をもつ。

日高:
そうすると那珂川の役割というのは、やはり境界ということになるのでしょうか?

金澤:
境界でもあるのでしょうが、もっと多様な捉え方が出来るのだと思います。
大阪の道頓堀は、南側にたくさんの芝居小屋が並んでいて、北側には宗右衛門町といって風俗街からこれから変わろうとしている場所があります。その宗右衛門町にお茶屋がたくさん出来たんです。それで南側で芝居を見た後、川を渡って北側でお茶屋、飲み食いをするようになりました。道頓堀を例にすると、川を対面にして繁華街が形成されるということがあって、つまり川が境界であり、かつ水を媒介として街がつながるといったことがあると思うのです。
例えば橋というのは、二つの世界を繋げるという意味がありますね。有名な小説に「橋のない川」というのがあります。この小説のタイトルは、「川で区切られた二つの世界に、決して繋ぐものはない」という意味です。だから、それに象徴されるものとか、例えば「『数寄屋橋」で君の名は」といえば、出逢いの場ですよね。というように「橋」には橋神さんといっては違う世界を繋げるという意味があります。
同様に、川も別のいろんな見方をすると、いろんな意味が含まれてきます。
例えば、大阪でやっていることをちょっと考えてみると、水辺の価値を歴史的文化的な観点で、もう一回位置づけなおそうとしています。水辺は、特に都市空間の中では、「ひと」、「こと」、「いのち」という意味で非常に重要だというふうに見直されています。都市には川が縦軸となって上流と下流をつなぐ役割を持っているのと同時に、川が境界となる。いわゆる「谷性」といった機能を持ち合わせている。そのように川を中心にして都市の形を見出すといったコンセプトを大阪では組み立てています。
そういうストーリーを組み立てていって、中洲と那珂川のイメージをつくっていくという方向性があると思います。

水上の馬鹿馬鹿しいイベントと、「屋台村」をやってみるといい。
ここでマイクを握らせていただいたので、もう少し私の話を付け加えたいと思います。
「親和性」の話の中で、人のアクティビティの必要性を取り上げましたが、単に水辺を歩けるようにと言うことだけではなく、もっと水に対して「親和性」を高めるようなイベントが出来ないかなと思い、水上でできるイベントをずっと思案していました。かつてベネチアに住んでいた頃に毎年楽しみにしていたボートレースを思い出したのです。しかし、ベネチアのボートレースは、とても生真面目にやっているので、これを福岡でやるにはハードルが高い。もう少しふざけたイベントがいいんじゃないかなと思ったのです。例えば、アムステルダムの運河で馬鹿馬鹿しいイベントを毎年やっているんですね。
狭い運河の中に、ずーっと板を通しまして、そこを自転車で渡るというイベントです。大概、途中で落っこちる訳です。それを仮装した人間がやってみたりしています。都会でそんなイベントができれば、すぐに人のアクテビティは高まって、都市空間を魅力的で豊かなものになると思いました。それで、僕は博多の人というのは、結構、ノリのいい人が多いんじゃないかと思うので、もし誰か共感してくれる人がいれば、水上自転車レースのイベントなんかは、那珂川の中洲の河畔でやってみるといいんじゃないかとお勧めします。
それと中洲の空き地を使って、「屋台博」みたいなものをやってみてはどうでしょうか。その「屋台博」は行政の方では取り締まろうとするんでしょうが、もう少しポジティブに戦略的に考えてみると面白いと思うのです。
東京・銀座の高級な寿司や蕎麦も、もともとは江戸の末期ぐらいから屋台から始まっているんです。そうしたことを考えると、また少々粗っぽく考えると、屋台での商売あるいは事業は、新しい食文化や新たな産業を創出するキッカケとなって、雇用を生み出すことにつながっていく、そういう可能性を持っているのだと思います。

併せ技の「水上屋台」もいい。そして「芸術村」というアイデアもある。
それからですね、先ほど、博多・福岡というのは大陸に開かれた国際都市であると申し上げましたが、その延長で申しますと、九州・福岡が東京や大阪の方を見ているのではなくて、アジアを見ているとすると、実はアジアの都市というのは屋台が多いんですよね。台湾や中国の路地裏、ベトナム、それからインドネシアもそうです。結構、アジアの都市を象徴するのは、ああいう屋台的なもの、路地裏にある屋台の小さなお店の集合体ではないかと思います。そうすると博多のアイデンティティというのが「アジア都市を目指す」というものであれば、東京や大阪は屋台みたいなものは規制していくのだけれど、それをある意味逆手にとって、「屋台」を福岡のキャラクターの前面において、かつその屋台を水辺に絡めてみるのはいかがでしょうか。ということで、「水上屋台」なるものを何か具体化できないものでしょうか。
ご存じの方も多いかもしれませんが、大阪では水上カフェテラスというものをやっています。大阪と福岡では随分と水位の変動が違うので、難しいかなとも思うんですけれど。
あと空いていく中洲の土地では、都心に若い人を住まわせる建物をつくってはどうでしょうか。特にアート関係の若者を。先ほど出てきたニューヨークだとか、ロンドンのソーホーなどで、新しい都市のダイナミズムを生み出しているのは、現代アートなどを手掛ける若い芸術家の活動が大きい。倉庫だとか空き家だとかをそうした若い芸術家に提供するような動きを仕組んでみて、ある種の「芸術村」みたいなものが出来ないだろうか。
いろいろとアイデアを出すと面白いかなと思います。全部が全部出来る訳ではないのですが、アイデアとしてはいろんな可能性を持っていて、今後あと数年経つとどんな街になっているんだろうと楽しみな思いをしました。

昼の顔づくりとして、歴史的、文化的なものを個々に磨いて、それをつないでいくことが必要。

日高:
中洲と隣の天神を考えた場合に、それぞれが別々の土地利用を展開しながらも、那珂川という水を媒介にして、そこにうまくアクティビティを仕掛けていく。それによって、全体から切り離された別世界としての特色のある発展を見出そうということかと思います。
そうしたご意見を受けて、実際に地域に入って活動されている佐藤さんとしては、金澤先生のいろんなアイデアを踏まえて、那珂川のこれからの都市デザインの方向をどのようにお考えになりますか。

佐藤:
頴原先生と金澤先生の話を聴いていて思うのは、私は地域に入って活動しているといってもまだ浅く、まだ調査程度の関わりでしかないので、地域のニーズを本当にうまく拾い上げているかというと、まだほど遠い段階にいます。ただ、いろいろと調査している中で、那珂川について先生方の話に私が共感したのは、まず統一性とか調和がとれてなくていいという話は、そうだなと私自身も感じるところでした。例えば、これから那珂川の景観をつくっていくことを考えた場合に、じゃあ、全部スカイラインを統一して、全部のビルの高さを同じにすることは、那珂川の景観を魅力的にするとは思えません。例えば赤煉瓦文化館ですとか、公会堂貴賓館のような歴史的な建物もあれば、右岸側には夜に煌びやかなネオンがあったり、屋台があったりする。那珂川の都心で身近に感じる場所は、この歩いて1kmほどの範囲で、その中ではいろんな顔があって、それを統一させるというのはとても難し。また訪れる人にとっては、いろんな顔、雰囲気を感じさせることの方が面白いんじゃないかと思っていました。



ひとつ課題に感じているのが、皆さんが中洲に持っているイメージがそうなんですが、やはり夜のイメージでしかないんですね。金澤先生が言われた「水でつなぐ」というのは、私も凄く重要なことだと思っていて、那珂川、博多川にとってみれば、天神と博多駅をつなぐ場所で、もう少しミクロに見ていくと、那珂川というのは天神地区と中洲をつなぐもの、博多川は中洲と博多部をつなぐものです。
しかし今は、夜の顔をもった中洲が福岡の都心を分断しているとも言えます。
ただ那珂川を見てみると、那珂川の左岸、つまり天神側はあまりアクティビティが無いんですね。天神中央公園が多くの人に使われているかと言えばそうではない。赤煉瓦文化館は今年誕生百年ということでいろんなイベントとかがあって利用があるようなんですが、一方の公会堂貴賓館に人が行っているかと言えばそうではないような気がします。また日中の西中洲に人が行っているかというとそうではない。というように、那珂川のアクティビティを見ると、やはり「夜のまち」としての中洲のイメージが強い。
地元の方にお話を聴く機会があって、昼の顔をどうするんだということが話題にあがります。それで先ほどの歴史的なものや文化的なもののまず個々を磨いて、そしてそれを繋いでいくということがこれからの那珂川には必要なんじゃないかなと思いました。

日高:
昼の顔、夜の顔といった話がありましたが、佐保さんがいうエンターテイメント・ゾーンというのは、昼の顔を含む意味でもあるのでしょうか。

佐保:
たぶんですね。劇場なんかで言いますと、ミュージカルなんかも昼間からやっていて、その料金も安いですよね。だから、私が言っているエンターテイメント・ゾーンというのは、昼も夜もさしていて、夜に限ったことをイメージしている訳ではありません。
日本では普通、お酒を飲む飲食は夜だということになりますが、外国の場合、昼でも軽く飲んだり、あるいは会食でアルコール付きの場所を利用したりしますね。国の習慣もありますから、一概にそうすべきと言えませんが、エンターテイメント・ゾーンとして中洲の店が那珂川に出てきて、業態を工夫しながら、昼に営業するのはあり得るのではないかと思います。

例えば、歴史的な建物で「古楽」のような品のある音楽会をやると、福岡の魅力がもっと高まる。

日高:

これまでのご意見は、那珂川沿いでのアクティビティを高めていって、都市のシンボル空間として価値を高め、かつ地域の活性化に役立てようということに、大きく整理できると思うのですけれど。
今年、赤煉瓦文化館の誕生百年を祝うイベントを市民を上げて取組んでいるのですが、例えば赤煉瓦文化館のような川沿いにあるシンボリックな歴史的建造物を保全する取組みを、市民活動として取り組んでいるようなことは、英国・ロンドンの保全地区などで、行われているのでしょうか?保全地区とは開発に対して協議していく地区だと、頴原先生から紹介があったのですけれど、日本のような住民・市民を巻き込んでの保存運動、あるいは市民まちづくり団体の活動との連携といったものはあるのでしょうか?

頴原:
やはり歴史的建造物を保存・活用していくことによって、その地域のアートを引き出していくような活動はあるかと思います。英国は産業革命の国ですので、工場建築がたくさんあるのですけれど、工場建築の後を再利用して美術館にして、そこにいろんなイベントを行って、そして地域の活性化につなげるようなことは、あると思います。
福岡に関して言えば、その赤煉瓦文化館や公会堂貴賓館というものがありますが、実際問題、地域が本当に欲するアクティビティになかなか結びついてはいないのかな、という気がします。あまり尖がった現代アートをやると、文化財では困りますが、伝統芸能や歴史を感じさせるイベントだと、うまく建造物とマッチするのではと思います。
私は古楽という古い音楽に興味があって個人でもやっていたのですが、古楽音楽祭というのが栃木だとか目黒など、いろんな場所であるんです。また福岡でも古楽音楽祭が今年、10周年を迎えて、福岡市の賞をいっぱいいただいていると聞いています。福岡に引っ越してくる時、それをひとつの楽しみにしてきたのですが。その会場が「アクロス福岡」と「あいれふホール」であったのですが、このどちらの建物もあまりにも現代的すぎて古楽のイメージに合わない。もしも、赤煉瓦文化館や貴賓館を使わせていただけたなら、もっともっと福岡で古楽の魅力が高まると感じたのですね。
イベントとしての意外性をテーマに、現代的なアートとのコラボもあり得るとは思うのですが、福岡には古楽音楽祭のような品の良いイベントも幾つかあるようなので、そういったものとのコラボを考えていって、より多くの人に気軽に歴史的建造物を使っていただけるような環境を整えていくことが良いのではと思います。

日高:
英国でもそうした地域の運動・活動との連携はあるということですね。また、もっと日本の場合、そうした建造物の歴史的価値との相乗効果を得られるようなイベントを企画するなど、その取り組みにも工夫の余地があるだろうと言うことですね。今年の赤煉瓦文化館誕生百年祭をキッカケに、気軽に歴史的建造物に触れる環境、取組みが続けていければと思います。

文化財を「ショーケース」に入れたままにするのではなく、もっと市民の活動に還元すべき。

日高:
そうすると那珂川周辺でのアクティビティを高めていこうと目指す中で、佐保さんがおっしゃったような生産性を高めつつ、水を媒介にしたような市民の活動といったものは、どういったものが考えられるのでしょうか。

佐保:
今の建築物がいろいろと機能分化しすぎる傾向にあり、その延長上では文化財は、「ショーケース」に入れておく。極端に言うとそういったことになっています。
例えばフランスの国会は、ブルボン王朝時代(16世紀末〜19世紀前半)の建物を使っているのですけれど、国会が無い時には委員室は全部空いていて、それを貸会議室として使っているんです。聴きますと、守衛さんや食堂の人を国会が無い時はクビにするという訳にはいかないということで、貸会議室として使うわけです。私はインター・パネルという国際組織の会員になっているので、年に1度、総会出席のため、フランスの国会の委員会室に行ったりします。
また米国・ワシントンのスミソニアン宇宙航空博物館では、日本では考えられないのですが、ライト兄弟の飛行機の上にウイスキーのグラスを置きながらパーティをやったりするんですね。博物館内につまみを置いたテーブルをズラっと並べて、アポロ13号を囲みながら乾杯をやったりするんです。館内のミュージアム・ショップでは、酔った勢いでみんな買い物をするんですね。
そういったように、文化財をショーケースに入れて仕舞い込むような日本の文化財行政とは違うような気がします。日本の歴史的建造物を都市のシンボル、あるいは都市の魅力づくりの貴重な資源として捉えて、そのあり方についてはもっと議論する余地があるのではないかと思います。

日高:
歴史的建造物を活用していくための、その考え方を見直しては良いのではないか。あるいはそういった時期、機運となっているのでは、ということですね。

ネオン看板は福岡の都市景観にとって重要な要素。ただし無理に戻そうとせず、消えゆく美学に価値を見出してみては。

日高:
以上、いろいろとご意見いただきましたが、冒頭、私が提示した論点よりも、幾分拡大、進んだ課題・テーマがあるんだというような御意見が出されたと思うのですが、少し議論を私が提示した論点に戻って議論していただきたいと思います。
今までのご意見では、基本的には、中洲の今の状況を衰退しないように、発展的にもっていくべきだということですが、そう考えた場合、現在減りつつあるネオンサイン・看板というのは、心象風景として、また歴史的な価値から、今後も維持していくべきなのでしょうか。それとも、新しいエンターテイメント・ゾーンとしての景観があるのか。その点について、金澤先生、ご意見をいただけないでしょうか?

金澤:
京都市ではネオン規制を進めたということで、当然、大変な議論が巻き起こったのです。ただ、京都のもっている都市の特性なり歴史なりが、博多・中洲のそれとは違うということがあり、別物だなと思います。それで、先ほど申し上げた通り、基本的には強い規制はかけない。できるだけ共存しながら、創意工夫をハツラツとする場所である、と思うのです。
例えば、一般的に県庁の建物の周辺は、そんなにドンドン変わっていくような場所じゃないですね。あるいは大学の周辺もそうですね。だけど、中洲のような街は、日々変化していくというのでいいんだろうと思います。それで中洲のネオン看板は、それはそれで重要な要素だと思います。
それから、その半面で、今は廃墟になりつつあるとの話がありましたが、そこにも重要な要素があると思います。
例えば、今ですね、築30〜40年経っている古い公団住宅が面白い、工場のプラントが面白い、製鉄所の高炉が面白い、という一部の流行りみたいなものがあります。ある意味、滅び変わっていくもの、社会的機能を終えて消えゆくものといった中にも、ある種の美学みたいなものがあって、その価値を追求してみると、今まで見落とされてきた面白さがあるんじゃないかと思います。無理して、廃墟になっているのを、ネオン看板に戻しなさいと言うよりも、ありのままの姿の中に変化する様やその価値に光を当てていくことの方が重要だと思います。そういうゾーンとして、考えたらよいんじゃないかと思います。

福岡は回遊して見て歩くと楽しい街。その途中に中洲と那珂川の景観を楽しめたらいい。

日高:
中洲側にはネオサインがノスタルジーを漂わせ、那珂川の天神側では、公園があったり歴史的な建物があったりして、ある意味、アンバランスな景観ともなっているんだろうと思うのですが。この那珂川に見る景観は、頴原先生のおっしゃっていた統一や調和していないからこそ、何か魅力がある、惹かれる景観になっているということでしょうか?

頴原:
「中洲は夜の顔しかない」という佐藤さんのお話でしたが、私はむしろそれでもいいんじゃないかと思っています。それは、都市を訪ねる楽しみのひとつに、回遊性というものがあると思います。いろんな場所に行って、昼間は福岡タワーだとか、ヤフー・ドームや市立美術館だとかに行ってもらって、そうして夜には中洲で楽しむという、都市を時間によって巡っていく。中洲に昼の顔までもってきてしまうと、かえって中洲独り勝ちになってしまうのではないかと思います。回遊性という都市の楽しみ方があるので、中洲が夜の歓楽街的な場所で、天神が昼のショッピングを楽しむような大人しい場所であるというのは、それはそれで良いのではないかと思います。
福岡の都市の回遊性について思うのは、私は歩くことが好きなので、ともすると一日中歩いていることがあります。一日中歩いていれば、大濠公園から天神、中州まで周れて、丁度良い距離だと思います。先ほどの私が用意した福岡都心部の地図で、博多駅から天神まで2.5kmですから、一日ウォーキングで歩く距離としては丁度良いし、その間、いろいろと変化があって楽しいと思います。

日高:
天神、中洲、博多。いわゆる福博の街ですが、その真ん中に那珂川がある訳ですが、都市を魅力づける方法として、「回遊性」というキーワードが上げられました。その点について、「回遊性」と福博のまちづくりはどうあるべきか、佐保さんから何かご意見をいただけないでしょうか。

佐保:
ニューヨークのイーストリバー沿いにいろんな商業施設があるのですが、そこでは昼間、ビジネスマンが食事するのです。夜には観光客中心の場所になります。そういうビジネスマンや市民の日常的な回遊と、観光客などが巡る回遊性といったものをうまく整理し、うまく複合させるという工夫が必要だと思います。商業で言えば、昼間だけ、夜だけといったのではなかなか成立しないのだと思います。バーとかスナックなどは違いますが、レストランや飲食だと昼も夜もやらないと経営が成り立たないというふうに思います。

日高:
いろいろなご意見、アイデアが出されて、簡潔にまとめるのは難しいのですが。予定の時間を過ぎていますので、ここで一旦、会場との質疑応答に入りたいと思います。その後、パネリストの方々には、「福岡市への一言提言」ということで、お手元のボードに一言、市民を含めた福岡市へのアドバイスを書いていただいて、それぞれコメントをいただきたいと思います。

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